45歳で24年勤めた会社を辞めたアラフィフ独女、前回からの続きです。
退職に伴う有給休暇の消化
2022年8月末、無事に最終出勤日をむかえ24年という長きに渡る会社員生活を一旦終えました。
お疲れわたし。
退職後は失業保険をもらい(45歳なのに呑気にも程がありますが)少しゆっくりしようと考えていたので転職先は決めていませんでした。
そのため最終出勤日の翌日から有給消化の生活に入り、30日ほどあった残日数(+残っていた夏休み)は全て消化しました。
この間どのように過ごしていたかと言うと、晴れの日はベランダで過ごすことが多く、起床後即ベランダ。
ベランダで歯を磨いたり、コーヒーを飲んだり、娘と息子(両方とも犬)と日向ぼっこしたり。
犬の散歩に出掛けても公園にいるのは談笑中のお年寄りたちと自分だけ。
あんなにも忙しい毎日を過ごしていたのに、こんなにも穏やかな時間が流れているなんて。
そんな風に(だらだらと)毎日を過ごしていました。
要するに特に何もしていないのですが、この間はまだ無職ではなく、何もしなくてもお金が発生するという夢のような日々。
ストレスから完全解放され心身ともに健康でした。
自分では気づかないストレスはある
会社を離れてからの1番の変化は体調です。
私は体調不良で退職したわけではありませんが、自分では気づかないストレスがあったようです。
毎朝出勤時に吐き気と頭痛、会社ではめまいの症状がありましたが、今は一切なくなりました。
もちろん症状には気づいていましたが、その症状がストレスだとは思っていませんでした。
身体はストレスのサインを出していても毎日働き続けていると気がつかないものですね。
職業は無職です
そして10月中旬、約30日の有給消化を終えた私ぴにゃこは、ついに退職日を迎え無職になりました。
身の引き締まる思いです!!(?)
退職日を迎えるとやらないといけないことが多々ありました。
社会保険の切り替え、年金の切り替え、失業保険の受給手続き、住民税の支払い、企業型確定拠出年金の切り替え、確定申告など、無職なりに忙しい日々を過ごしました。
社会人からすると「一体どこが忙しいのか?」と思うような内容ですが、1ヶ月ちょっと仕事から離れた生活をすると、課せられたこの任務はてんやわんや状態です。
役所で諸々の手続きをした際、職業を記入しなければいけない場面があり「今は無職なんですが...」となぜか言い訳がましいことを言い、受付の方に「では無職と記入してください」と言われました。
無職という称号、どこにも属していないということに少しだけ怖さを感じました。
ついに退職金が振り込まれました
退職金が振り込まれたのは退職日を迎えてから1ヶ月後の11月中旬でした。
就業規則の退職金規定通りの金額でした。
一気に大金が振り込まれ心踊るような気持ちでしたが、45歳で既に退職金を受け取ってしまったため、今後の人生では計画的にお金を貯めていかないと(独女なので)老後が心配です。
しかし、お金を手にした時に私の中の無職の才能が開花してしまったのです。
無職にも向き不向きがありますが、私は完全に向いてます。
こんな暇な生活耐えられない!となる人も多いと思いますが、私は(お金さえあれば)一日中特にこれといった何かをしなくても全然平気です。
むしろ幸せです。
とはいえ、それは娘と息子(両方とも犬)がいて、語学という趣味があるからかもしれません。
退職金の一部は定年後の留学費用にとっておこうと思っていましたが、この記事を書いている2024年現在はもうありません。
お金というのは恐ろしいスピードでなくなって行くもので、もうすぐ底を突きます。
退職してなぜすぐ留学しなかったのかというと、一応まだコロナ禍ではあった、円安と世界的な物価高が気になった、愛するわが子たち(犬)を置いて長期不在にはできないなどです(実家ですが)。
初めてのハローワーク
2022年12月1日、人生初のハローワークに行きました。
初めてハローワークへ行った時は「まだまだ働けますよ!頑張ってください!」と相談員の方に励まされ、ハンコをもらい5分もせずに終了でした。
あれ?求人紹介はしてくれないのかな?と思いながらも、「再就職意欲のない人にハンコは押せません!」と言われたらどうしようという不安があったので、無事にハンコをGETし、意気揚々と帰宅しました。
受給が終われば働かなければいけないので、認定日と活動実績でハローワークへ行った時には下調べとして求人検索をし、その募集についての質問などしました。
ハローワークの相談員の方々は明らかにハンコ目的な無職の私にもとても親切に対応してくれました。
ちなみに最後の認定日でもらえる支給額は7日分だったので、(図々しくも)さっさともらって終わりにしたいなと思い、ハローワークに問い合わせたところ、認定日を早めてもらうことができました。
それでも2回の活動実績は必要で、1回は前回の認定日の帰りにハンコをもらい、もう1回は派遣会社のエントリーに通り職場見学が決まっていたので、エントリーした求人の企業名と職場見学の日を記入し提出しました。
実はこの最後のハローワークの翌日が派遣会社の職場見学でした。
こんなトントン拍子にことが進み、会社を辞めても人生順調だと思っていましたが、職場見学で不採用でした。
また他の記事で就職活動の日々を綴りたいと思います。
それはそうと、このハローワーク生活で一番印象的だったのは、最後の日にチラシを渡されましたが、トラック運転手の説明会でした。
トラックを運転しそうに見えたんでしょうか。
あるいは、もう事務職は厳しいですよというメッセージだったのでしょうか。
2023年7月までハローワークにはお世話になり、私の失業保険の受給生活は終了しました。
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